エネルギーを与える人、奪う人
皆さまの中で「あの人と会った後はなぜか元気になれる」とか「大した話はしていないけれど、あの人と話をすると気分が落ち着く」と言った経験はありませんか。または、反対に「あの人と会った後はなぜか疲れる」とか「いつもあの人と話すと気分が下がる」と言った経験もありませんか。ちなみに、単に緊張して疲れたということではありません。自分よりも明らかに立場の上の人と会う時はほとんどの人が緊張することでしょう。また、単に緊張から解放されて元気になったというのも違います。両者は混合しやすいですが、注意深く観察すると、会うこと自体に緊張する人でも、その後の気分の上げ下げにはほとんど影響しないのです。例えば、前出の人であれば、緊張はしていたけれども、話終わったあと元気になることもあります。
ここで重要なのは、どのような立場の人であれ、自分からエネルギーを与えているか、あるいは周りの人のエネルギーを奪っているかということです。ここでいうエネルギーは個人の元気、活力のようなものです。与える人の傾向として、オープンな人が多いです。基本的に隠し事がありません。(わざわざ公表する必要のないもの、秘密保持のように公開してはいけないものはきちんと守ります)。話し手の時でも、聞き手の時でも相手の反応を見ながら進めることがほとんどです。一方奪う人の傾向として、制限や隠し事があります。情報を小出しにしたり、全体観を隠しがちです。また話し手であれば、一方的に自分の言いたいこと、主張だけを言いがちです。
このようなコミュニケーションにおける傾向はあくまで表現の一種であり、そもそもは、各個人の基本スタンスに影響しています。与える人というと、自分が疲弊すると思うかもしれませんが、実は与えれば与えるほど自分自身も豊かになるのです。そしてまわりも与えられるので豊かになります。もしかしたら、奪う人はそのことを知らないのかもしれません。反対に奪うことは自分に豊かさが取り込まれると考えるかもしれませんが、実は奪う人の方が疲弊するのです。もちろん自分だけでなく周りの人も疲弊します。
人は同じタイプの人を呼び寄せます。自分が与える人となれば、周りには与える人がたくさん現れます。しかし、奪う人の周りには同じように奪う人が集まりやすくなります。
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